霊峰富士から三度飛び立つ

〜『ジハード』富士宮・旅日記〜
〈清野公亘〉

 日本晴れ。日本一の富士山は美しかった。

 2001年4月15日。快晴。
劇団から3台の車とトラックに分乗し、甲府の倉庫で道具を積んで一路富士宮へ。
張りだし舞台を作るための日帰り強行軍。
やや疲れた表情の我々を霊峰富士は、精進湖は、優しく迎えてくれた。

 1999年、小劇場、中野 ザ・ポケットでのスペース公演。
間口 7.8m、奥行 5.7m。
その小さな舞台を〈ユニット〉と呼ばれる2つの箱がくるくる回って場面を作る。
演出家曰く〈びっくり箱〉〈おもちゃ箱をひっくり返したような〉舞台。
アンケートでも大好評だったように、間違いなく『ジハード』のウリのひとつだ。
それを全国へというとき、ポケットのような小さな劇場はない。
確実に規模を大きくしなければならない。

 しかし、わずかな読み違え。
 台本も変わり、初演を越えたものを,更によいものをの思いが強すぎたのか、
富士宮のホールでの公演が難しくなる程に規模が大きくなってしまった。
 三度の再生。舞台を見直し、台本を見直し、大幅なスリム化を迫られた。
『ジハード』のダイエット。いや、減量。さながら、試合に臨むボクサーのごとく身を削る。

短期決戦、「いざ、富士宮へ」
霊峰富士を望む富士宮市。多大な協力を頂きながら、舞台を張り出し、セットを組む。
初日の幕が開いた。
あらためて、《舞台は観客と一緒に創る》ことを思い知った。
観客のリアクションに不安を吹き飛ばし、自信が生まれ、
舞台に新たな息吹が注ぎ込まれていった。
新生『女たちのジハード』は不死鳥のごとく再生した。

笑い声と、拍手。大好評を受けてすべてのステージを終えた。
その後、2002年、松本での公演が決定し、つぎの公演の声も上がった。
―自らを焼き尽くし、その炎の中から生まれ変わる〈火の鳥〉―
不死鳥は蘇り、霊峰富士から全国へ向けて、大きく飛び立った。