満点の星
わが山の家はこの季節、夜は零下何度の世界、
凍てつく冷気に見上げる空には、星がガラスの破片をばらまいたように光る。
町中ではもう、見ることのできない空だ。
四十年前、これと同じ空を私は、三島市のわが家の物干し台で見上げていた。
三島北高校二年の時、小中を過ごした東京の学校の演劇部の先生から
「もし君が今でも演劇に興味を持っているのなら、アカデミックな勉強のできる所があります」
という手紙をいただき、俳優座付属俳優養成所の願書が同封されていた。
高校でも演劇部に入り、仲間とわいわいやっていたけれど、
女優になりたいとも、なれるとも思っていなかった。
大学に行って、保母さんになるか、結婚して奥さんになるか、そんな気持ちでいた。
だから、高校二年の春休みにちょっと冒険をするような気楽な気持ちで受けに行った試験だった。
試験場には、美男美女、個性的で意欲的な人たちが溢れていて、
その様子を見られただけで十分楽しかった。
そんな私が、一次試験を通り二次も受かってしまった。
戸惑う私に
「受かったのは君が無色透明だったから。俳優の仕事は勉強が大事、高校を卒業して来るように」
と俳優座の先生が言った。
最後の高校生活を思い切り楽しんでいたある日、入所式の通知の封書が届いた。
本当に一年間待っていてくれたんだという喜びよりも、
先の見えない現実を、いきなりつきつけられた不安に震えた。
寒い日だった。床に着いても眠れず封書を抱いて屋上の物干しに出た。
ーなんの取り柄もない私ですけれど、この道を歩き出す以上、精いっぱい生きていきます。
どうか見守ってくださいー
満天の星に祈った。どのくらいそうしていただろう、母の呼ぶ声に我にかえった。
体は凍えきっていたけれど、あの時の胸の奥に感じた熱い想いを鮮烈に思い出す。
そしてこの道を歩き続けて四十年、舞台の仕事で文化庁の芸術祭の大賞をいただいたことを
、今、同じ満点の夜空に報告している。
(静岡新聞「窓辺」2000.1.15より)