富士山
この数年新しい年を、山の家で迎えている。
山の家のテラスからは、富士山が見える。
夫が打った年越しそばをつまみに飲んだお酒も、一眠りしてすっかり覚めた頃、
ジャケットを着込んでテラスに佇む。
闇の中、清冽な空気に身の引き締まる思い。
やがて濃紺の空が日の出の気配にその色を藍に変え、斜面に光を受けた純白の富士がくっきりと姿を現す。
「ああ 富士山さま」
そう口走るほど、その姿は美しい。
「明けましておめでとうございます、今年が良い年でありますように、皆を見守ってください」
掌をあわせる。
この先、どんな時代が来るのか見当のつきにくい世の中だけれど、
この時、実に清々しく穏やかな気持ちになれるのは、富士山だからだ。
ふりかえれば、富士山は折にふれ私の傍にあった。
東京の武蔵野で育った私だったが、高校の時、静岡県の三島市に移り住んだ。
通っていた県立三島北高校の校庭からは、中空に浮いたような見事な富士山が見えていた。
卒業して俳優座の養成所に入り東京での一人暮らしが始まった。
まだ高速道路のない時代で、俳優座のある六本木の交差点から、
晴れた日には路面電車のむこうに富士山が見えて、ふと懐かしさに足を止めた。
仕事が忙しくなりだした頃、最愛の母が逝った。
母の願い通り富士の裾野に墓を建て、姉弟で相談して墓碑銘を「おかあさん」とした。
涙で見上げた富士山は大きくゆったりと懐を広げ優しかった。
正面に富士山を仰ぐ山の家を持ったのは、母の生きた歳を越えてからのこと。
富士山の傍に住んでみて、あらためて日本一の山が擁している、自然の素晴らしさ奥深さを感じている。
と同時に、心ない人々の捨てていくゴミの多さ(原生林のはずれに車が転がっていたり)を
目の当たりにすると息がつまる。
1998年11月に富士山憲章が制定された。
それが環境保全を促進し、世界遺産への登録につながっていくことを心から願っている。
(静岡新聞「窓辺」2000.1.8より)